中森明菜のセルフカバー曲北ウィングは成田空港の第一ターミナル

当ページのリンクには広告が含まれています。

中森明菜さんの今の歌声!久々に聴きましたね♪

1984年にリリースした曲『北ウイング』をセルフカバーで「林哲司50周年記念トリビュートアルバム サウダージ」に収録しました。

昨年は個人事務所も設立し、40周年記念という事で活動を再開されたんだなと思っていた矢先に嬉しいニュースです!

今日は中森明菜さんについて詳しく書いていこうと思います。

目次

中森明菜の北ウイングはどこ?成田空港の第一ターミナル?

「北ウィング」は、アルバム「SOLITUDE」の先行シングルとして1984年に発表されました。

この曲は、中森明菜さんの実力派歌手としての一面を強調しており、感情豊かな歌唱スタイルが特徴です。歌詞は切なくも美しい愛の歌で、中森明菜さんの歌声がその情感を表現している歌です。

当時から歌唱力が抜群でしたから、この若さでこんな風に歌えるのは凄いですよね。

リアルタイムで聴いていた訳ではないですが、その後も色々な所で歌われてましたから、聞いたことはあるんです♪

北ウイングとはどこの事なのか?

題名の北ウイング。一体どこの空港なのでしょうか?

何となく成田空港か羽田空港なのかなと思っていましたが、成田空港第一ターミナルの北部分の事なんだそうです。

成田空港は、北と南とが中央のお買い物や食事ができるエアポートモールで分かれています。この右の方が北ウイングとなります。

北ウイングからは、デルタ航空や大韓航空、エアーフランス等の国際線からPEACHやZIPAIR JAPAN等の日本の航空会社が使っている様です。

北ウイングから彼のもとへ

という歌詞があるのですが、彼は一体どこに行っていたのか・・選択肢が色々ありすぎて絞り込めませんでしたが、アメリカやフランスとかですかね。

夜間飛行と歌詞にあるので、夜間にフライトがある航空会社となると・・デルタ航空や香港航空も20時21時に出発画ある様ですのでそこら辺なのかも?と思いを馳せるのもなかなか楽しいです。

実力派歌手中森明菜

中森明菜さんは1965年7月13日に神奈川県横浜市で生まれ、音楽一家に育ちました。

彼女の音楽的な背景は、後の音楽キャリアに大きな影響を与えた様です。幼少期から音楽に親しむ中、彼女はその才能を開花させ、次第にその美しい歌声と魅力的なパフォーマンスで注目を浴びる存在へと成長していきました。

明菜さんは、1982年にデビュー!「スローモーション」という曲でデビューしています。

この曲は一躍彼女を注目の若手アイドルとし、多くのファンから支持を受けました。そして続く2枚目の『少女A』でスターダムへ駆け上がりました。明菜さんはスターダムと同時に実力派歌手としての地位を確立しました。

その歌唱力と個性的なスタイルは、彼女を単なるアイドルから、音楽業界での重要な存在へと押し上げたんだと思います。

実は2022年にファンクラブ限定ラジオでこのスローモーションをアカペラで歌うという、ファンにとっては嬉しすぎるファンサービスが行われていた様です。
明菜さんの1番好きな曲としてご自身も仰っていたのがこのスローモーションなので、思い入れが深い曲なんでしょうね♪

中森明菜さんのヒット曲

中森明菜さんは数多くのヒット曲をリリースしていますが、その中の「DESIRE」は特別ではないでしょうか。

私はまだ子供でしたが、この個性的な衣装と髪型はとても印象に残っています。そして曲。すべてが合わさって

スタイリッシュでカッコいい!

この曲が流れるときだけは、テレビにくぎ付けになってたのを思い出しました。

でも、今このデザイアの時のお写真を見ると、明菜さんまだまだ若くて可愛らしいんですよね。

中森明菜さんがデザイアを歌っていたのは何と20歳の時!!

20歳であの歌唱力、表現力・・・驚きです。改めて明菜さんの凄さを認識しました。

この曲は、その後現在も永続的な人気を持っており、多くの人々に愛されています。デザイア(願い、欲望)の歌詞は愛や感情について歌っていてとても情熱的な歌でしたよね。

中森明菜さんとは

中森明菜はさん、その美しい歌声と多才なパフォーマンスで数多くのファンを魅了し、音楽シーンで大きな成功を収めたアーティストです。
明菜さんの楽曲は今でも多くの人々に愛され、その音楽と演技は日本のエンターテインメント史に永遠に刻まれています!
そして今年は北ウイングのセルフカバー♪これから先も明菜さんの動向に目が離せませんね!

目次