上野裕一郎の現役時代は箱根駅伝区間賞を取る実力者!経歴深掘り!

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衝撃的なニュースがありました。立教大学の監督上野裕一郎(うえのゆういちろう)さんが、同じ立教大学の女子陸上部の女子選手と不倫関係にある。と新潮が報じたのです。

上野さんは謹慎処分から、監督解任となりました。

上野裕一郎さんはどんな方なのか?現役時時代はどんな選手だったのかを調べましたので、宜しくお付き合い下さい。

目次

上野裕一郎は箱根駅伝で区間賞を出していた

上野裕一郎さんの現役時代はどんな記録を持っていたのでしょうか?

皆さんが一番知ってるであろう大学時代を書いていきたいと思います。

中央大学の陸上部エース

高校時代から全国区で活躍されていた上野さんは、中央大学でもかなり期待されている選手でした。

<箱根駅伝結果2005年~2009年>

第81回大会1区1時間6分23秒19位
第82回大会3区1時間3分48秒3位
第83回大会3区1時間2分50秒1位
第84回大会3区1時間3分52秒2位

期待されて入ったものの、1年生の時の記録は19位と下から2番目の記録でした。

上野さんもこの時の事の事は、大学生になっての解放感という波の流れに乗ってしまったのと、怪我と練習が積み重ねられていなかったと仰っています。

しかし、その後陸上と向き合える気持ちになったという上野さんは大学2年生~4年生は箱根駅伝3区を走り、3年生の時は区間賞を取るまでになりました。

この年は1区2区と17位だった中央大学を、3区で8位まで押し上げる健闘を見せています!すごいですね。9人抜きです。

そしてご本人が一番悔しいとされた4年生。区間2位の記録で素晴らしいとは思うのですが、この時38度以上の熱があったという事なのです。それでもこの走りですから、本来の調子であれば区間賞だったかもしれません。

上野裕一郎の異名はごぼう抜き

毎年11月に行われる『全日本大学駅伝』。こちらは箱根駅伝とは少し違って全国の大学が一堂に会する駅伝です。

※箱根駅伝も今春から全国化し、出場校は20→23校となりました

この駅伝はもちろん上野さんも走っていますが、4年間で抜いた人数は何と29人!見てても爽快な『ごぼう抜き』が上野さんの異名となっています。

上野裕一郎の経歴は

<中学時代>
・軟式野球部所属

<高校時代>
・長野県の佐久長聖高校にて陸上部に所属
・高校1年時に出場した全国高等学校駅伝競走大会で区間賞
・高校3年時には男子10000mで日本高校記録

<中央大学時代>

・箱根駅伝→前述の通り
・大学2年生自に日本選手権1500m4位
・大学4年時にベルギーの大会5000mで日本歴代5位の記録

<社会人>
ヱスビー食品入社
・日本選手権5000m、1500m優勝
DeNA入社
・初代キャプテンに就任

そして2018年立教大学の陸上部監督に就任

現役ランナーと監督業を兼任していた為、『日本一速い監督』と言われていました。

選手と一緒に走り、指導していく。監督が一緒に走って教えてくれるなんて夢の様ですよね。

自分が選手だったら、一番信頼がおけるのではないかなと思います。

5年後には箱根駅伝へという目標も、上野さんの指導の賜物でしょうか。2022年に立教大学は箱根駅伝参加を決めています。

そしてまさかのこの時期での騒動で、謹慎→解任となりました。

全国大学駅伝や、箱根駅伝の予選会を控えている今。なぜ今なのでしょうか・・

私でさえこう思うのですから、選手達への影響が非常に心配です。

上野裕一郎は恩師瀬古利彦の言葉を裏切った?

上野さんの恩師といえば、中央大学監督だった田幸監督と、エスビー食品の監督瀬古利彦さんではないでしょうか。

田幸監督に至っては、中央大学監督からエスビー食品の監督になられて、ずっと一緒にやられてきた方でもあります。

そもそも上のさんがエスビー食品に入社したのは、瀬古さんの指導を受けたかったからだそうです。(瀬古さんも田幸さんも監督でした)

瀬古さんといえば日本を代表するランナーですよね!

そして、瀬古さんに贈られた言葉として上野さんが大事にしている言葉があるそうです。

「人と人との繋がりは絶対的なものだから、簡単なことで人を裏切っちゃいけない。裏切るような行動もしちゃいけない」という言葉です。陸上競技も1人では出来ませんよね。技術的な指導というよりも「人と人との繋がりを大切にしろ」ということを大切にされていたように思います。

陸上物語LIFE

人を裏切っちゃいけない

見事に裏切ってしまいました・・・。なぜこの教えを大切にしなかったのか。

今回の不倫騒動は、家族を裏切り、選手を裏切り、応援している人を裏切ってしまいました。

恩師瀬古さんが一体どう思っているのか。

なんとも言えない気持ちになります。

華々しい現役時代。才能もあったかもしれませんが、その裏には練習の積み重ねの努力があってこその記録だと思います。
監督になってこれから立教大学が強くなっていく!と思っていた矢先の出来事で、本当に残念としか言いようがありません。
世間の声は許せない。という声一色でした。
また何か続報などありましたら追記していきたいと思います!

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